「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」。最期までカッコいい人でした。最後の「銀幕のスター」でした。昭和の漢でした。
葬儀をひっそりと終え、供花や供物を遠慮する慎み深い姿は、最後の最後までいかにも彼らしい。ケースは異なるが、病み衰えた姿を外部に見せないまま「スター」として逝った市川雷蔵と同じく、ファンの願う「高倉健」のまま逝くことが、彼ら彼女らに対する彼の最後のサービスだったのではないかと思う。
今日は、声優・納谷六朗氏の訃報もあった。過去何度呟いたか忘れたが、今日もまた呟かずにはいられない。昭和は遠くになりにけり。合掌。
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昭和の映画の最盛期を支えた看板スターで、寡黙な男性を演じて、日本を代表する俳優として国際的に活躍した高倉健さんが今月10日、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で亡くなりました。
83歳でした。
高倉さんは福岡県中間市に生まれ、明治大学を卒業したあと東映のニューフェイスにスカウトされ、昭和31年に俳優としてデビューしました。
昭和40年代、「網走番外地」や「昭和残侠伝」などのシリーズで、東映の任侠路線のスターとして爆発的な人気を得ました。
また映画の主題歌をみずから歌い、「網走番外地」や「唐獅子牡丹」は大ヒットしました。
昭和51年に東映を退社したあと、「幸福の黄色いハンカチ」で不器用な生き方しかできない刑務所帰りの男を演じ、国内のさまざまな映画賞で主演男優賞を受賞しました。
硬派でシリアスな演技を得意としているほか、コマーシャルで使われた「不器用ですから」のセリフが代名詞的な存在になるなど、謙虚な人柄が多くの人に共感を与え、男女の別や世代を超えて人気を博しました。
さらに、「ザ・ヤクザ」や「ブラックレイン」などハリウッドの映画にも出演したほか、平成11年に公開された「鉄道員」でモントリオール映画祭の主演男優賞を受賞するなど、国際的に知名度の高い日本を代表するスターとしても活躍してきました。
こうした功績が評価され、平成10年に紫綬褒章を受章したほか、平成18年には文化功労者、そして平成25年に文化勲章を受章しています。
高倉さんはおととし、降旗康男監督の映画「あなたへ」で、6年ぶりに映画に出演して注目されました。
所属事務所によりますと、高倉さんは次回作の準備の途中で体調を崩し、入院して治療を受けていたということですが、容体が急変し今月10日午前3時49分、東京都内の病院で悪性リンパ腫のため亡くなりました。
(11月18日 NHK)
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