「ゆとり教育」A級戦犯の一人、三浦朱門死亡

小尾乕雄や鳩山邦夫に続き、三浦朱門が死んだ。

「AMEN」

あの世で自分たちの愚挙による日本の衰退と、その後の俺たちの尻拭いによる復活を見届けるがよい。お前の行先が天国か地獄かは知らんがな。

<訃報>三浦朱門さん91歳=作家、元文化庁長官

「第三の新人」の一人として社会や家庭を鋭く観察する小説を書き、文化庁長官を務めるなど文教行政に尽力した作家、三浦朱門(みうら・しゅもん)さんが3日、死去した。91歳。妻は作家の曽野綾子さん。

東京都生まれ。朱門は本名。東京大文学部卒業と同時に日本大芸術学部で教職に。旧制高知高校の友人、阪田寛夫らと1950年に第15次「新思潮」同人となり、51年に「冥府(めいふ)山水図」でデビュー。芥川龍之介を思わせる知的な作風で頭角を現し、安岡章太郎や吉行淳之介、遠藤周作らとともに「第三の新人」と呼ばれた。

戦後の家庭のもろさを冷笑的にとらえた「箱庭」で67年新潮社文学賞、東京・武蔵野の風土に根差す人々を描いて文明批評の面も評価された「武蔵野インディアン」で83年芸術選奨文部大臣賞。大学紛争の中、69年に日大教授を退職した。「結婚なんかおやめなさい」「老人よ、花と散れ」「日本人をダメにした教育」など家庭や教育問題の著作も多数。

温厚でバランス感覚にも優れ、多くの公職に就いた。85~86年は文化庁長官を務め、国体の文化版として国民文化祭を発案。88~94年日本文芸家協会理事長。96年に教育課程審議会会長に就任し「ゆとり教育」の道筋をつけた。87年日本芸術院会員、99年文化功労者。2004~14年は日本芸術院院長。

いずれもカトリック信徒の曽野さんとは“おしどり作家”として知られた。

(2月4日 毎日新聞)

 

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アングラから政治ネタまで色々モノ調べをやっているイロモノです。思想は保守中道、趣味はサブカル全般、歴史、各種コンサル。ボーイッシュと大和撫子がマイ趣味女の子の双璧。