嫌われること、除かれること

あちこちのブログを拝見してますと、今回の村上世彰容疑者@村上ファンドの逮捕に際して、「金を稼いでいる人間をキックアウトする日本の社会や日本人はダメだ」という論調が結構目に付きます。確かに、村上容疑者を嫌って「お金は額に汗して云々」と口にしている人々の姿がメディアに流れるのを観ると、一方で彼らの狭量さに情理両面から嫌悪感や不快感を感じる人々が多いであろうことも、容易に想像がつきます。

しかし、それらの感情をベースに「金儲けを卑しむ日本の風土が村上を潰した!」と今回の事件の当事者達を批判するのは、見当違いというものです。そのような批判をしている人たちは、フジテレビその他の反堀江・反村上派メディアの印象操作に、逆の意味で乗せられてしまっています。

ビジネスの世界で、嫌われることと排除されることとは全く違います。外部から見てどんなに守銭奴で利己主義者で嫌われ者でも、関係者間のバリューチェーンで有為な人物は排除されません。なぜなら、その人物はバリューチェーンの中に自らを組み込むことで彼らの一員としての「保険」を確保し、その上で自侭に振舞うだけの「実力」を持っているからです。

一方、今回の村上容疑者。彼は自分が言うように、嫌われたから儲けすぎたから排除されたのでしょうか?。それは違います。彼は、関係者間のバリューチェーンから逸脱した行動を取ったから、排除されたのです。バリューチェーンの中で自らを守る「保険」確保のための努力を軽視し、力無き身で先鋭化し、他の参加者に害を及ぼしたから、味方を失って、見捨てられたのです。特捜部はその「結果」に「別の目的」で喰らいついているに過ぎません。

村上容疑者は先日の会見で「日本はチャレンジャーに優しい国ですか?」と言っていました。それについて、神楽ならこう答えましょう。「YES!」と。少なくともバブル以前の頃と比べれば、足元では遥かにベンチャー企業やビジネスが育ちやすい素地が整備されています(まだ足りないという意見をお持ちの方も居られましょうが、せめてそのトレンドだけは認めて欲しいです)。

そして、次にこう問われたら「NO!」と答えましょう。いわく「ビジネスの世界は自侭なチャレンジャーに生易しいですか?」と。ていうか、「自侭なチャレンジャーに生易しい」国や経済圏なんて、日本はおろか世界中どこを探してもありません。むしろ、自侭に振舞おうと志向しているチャレンジャーであればこそ、既存の体制への挑戦のステージに上がる前に、自らを守る保険を彼らの側におく(≒利害の一致の演出)慎重さが必要。でなければ必ず競争原理の下で潰されます。生き残った孫氏@ソフトバンクと潰された堀江・村上両容疑者との差は、まさにそこにあったと言えるでしょう。

とりあえず、堀江・村上両容疑者は、もう一度マキャベリや韓非子を勉強しなおして、何故自分たちが味方であるべき連中から簡単に見捨てられたのかを悟らねばなりますまい。同じ失敗を繰り返さないために。顧みて、我々一般大衆。我々が疑い嘆くべきは、両容疑者の排除の本質を捻じ曲げ、「拝金主義者叩き」あるいは「拝金主義者を叩いている人間を叩こう!」に世論を持っていこうとしているメディアとその後ろの連中の存在です。我々はその思惑に乗らないよう、努々心せねばなりますまい。

マキャベリ処世術―武器なき人格者は亡びる

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