これからの人類は、「車に乗りたい層」と「車を走らせたい層」に二分されるのだろうか ~ 米NHTSA「グーグルが開発中の人工知能はドライバー」

 おいらはどっちかというと、トヨタ&MITのアプローチ、「車を走らせたい層」重視派だなあ。グーグルの「車に乗りたい層」重視な技術開発の方が、一般消費者としての楽につながるのは間違いないんだろうけどさ。

【オーケー、マイケル】トヨタ、米スタンフォード大やMITと人工知能の共同開発スタート【スロットルを踏み込め、君にならできる】(2015/9/5)

  • 「米グーグルとは方向性が違う」と述べ、グーグルが開発中の無人でも走れる完全自動運転車とは一線を画す姿勢を強調。運転手が乗ることを前提にした自動運転技術の開発を行う方針を表明した。

 今回の記事で一番重要な部分はここ。現実的なアプローチであるのと同時に、自動車屋としての譲れない一線でもあるんだろうな。グーグルのアプローチは「人が介在しない移動手段」の開発。ビジネスとしてはともかく、ものづくり的にはイマイチ「燃えない」。伊勢専務のコメントは、ドライバーがマシンのエンジンキーを回し、車のハンドルを握る瞬間の高揚感を知る者としての矜持だと思いたいね。

 ぶっちゃけた話、人間って、一度楽な方へ転ぶと、それまで有していたスキルやスペックが退化する一方だと思うんだよな。自動車運転に関しては、高速移動中の周辺情報の確認能力とか。技術的特異点の2045年問題を待つまでもなく、それって、種としての人類にとって必ずしも歓迎すべきことではないと思うんだが、どうなんだろう。

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 律のような「友人としての人類との共存共栄」な機能拡張なら、色んな意味でウェルカムなんだけどねえ。AIも。望みどおりに上手くいかないのが現実というか、世の中か。その改善の余地が存在し続けることが、人類としての進化につながるのは間違いないんだろうけどさ。

 てことは、心配の種がある限り、人類の進化に心配は不要ってことか。解決方法かくにん!よかった(あれ?)

「人工知能はドライバー」=グーグルの自動運転車で見解―米当局

 【ニューヨーク時事】米グーグルが開発中の自動運転車に搭載される人工知能について、「運転手と見なすのが妥当」との見解を米運輸省道路交通安全局(NHTSA)が示したことが10日、分かった。

 人が運転しない車でも公道を走行できる可能性が示された形で、今後の自動運転車をめぐるルール作りに影響を及ぼしそうだ。

 NHTSAが、グーグルの担当者に宛てた4日付の書簡をホームページ上に公開した。グーグルは昨年11月、ハンドルやブレーキペダルなどが無い自動運転車の設計案をNHTSAに提出し、道路交通や車両の仕様に関する規制当局の立場として、これをどう受け止めるか回答を求めていた。

(2月11日 時事通信)

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