被告の元少年の言動以上に、安田好弘弁護士&弁護団の仕事っぷりに対して憤りを禁じえなかった光市母子殺人事件の差し戻し審に一応の決着が着きました。死刑判決は想定の範囲内でしたが、過去の判例を見る限り、死刑という判決以外ありえなかったとも思いません。ただ、本件の一連の公判を見る限り、今回は死刑という判決が出て已む無しだったと思います。それ位、弁護団の裁判戦術特に世論対策は酷かったですから(本人達の本音が何辺にあったかは別として)。
1・2審で事実認定された証拠や証言といった正手に対して、弁護団が展開した「蘇生行為としての強姦」「ドラえもんに蘇生依頼」などの奇手。フィクションとしては出来が悪く、ノンフィクションとしては検証しようが無いこれらの奇手を弁護団が用いた際の異様な強気は、彼らが、「殺害時の逆手云々」程度の正手では不利を覆すことができないと判断していた弱気の裏返しでしょう。
もちろん、裁判で奇手を用いること自体は無問題です。何故ならそれも戦術のうちですから。しかし、弁護団は今回の奇手と過去の元少年の証言や証拠品との整合性を取ることを軽んじたのが、致命的でした。その結果、出来の悪い奇手は、即効で「後付けの言い訳、荒唐無稽な嘘」とレッテルを貼られて、その内容についてまともな検証すらされませんでした。裁判戦術上は、まさに百害あって一利なしな悪手だったわけです。また、悪手を弄する一方で弁護団は、元少年の未熟さや異常性を強調することに汲々とし、事件の計画性の有無や元少年の更生余地については殆ど触れませんでした。この片手落ちぶりも、裁判所や検察そして世論の心証を悪くしたことは、想像に難くありません。
今回の判決文読み上げで、楢崎康英裁判長はこれらの奇手悪手を一々論破して退けましたが、これはそのような悪手を展開し、かつ最低限なすべき弁護活動をおろそかにした弁護団への「冷静かつ強烈なしっぺ返し」だったのだろうと神楽は考えます。
一度信用を失えばあとはジェットコースターで評価が転落するのは世の常。安田弁護士の普段の「死刑反対」主義とあいまって、弁護団全体が「真実の追究ではなく元少年の死刑回避だけが目的」「己が主義主張の具現化が目的」の「社会の敵」と看做された段階で、弁護団の存在は元少年にとって「害悪」ですらあったのではないでしょうか?。極端なところ、神楽はこうも考えてしまいますよ。元少年が弁護士に恃まず、自身でひたすら謝罪を繰り返していれば、死刑判決は避けられたんじゃないかと。少なくとも、逮捕当初の「無法者」以上の悪評「狂人や卑怯者」扱いされることはなかったんじゃないかと。実際、楢崎康英裁判長の読み上げからは、その可能性も読み取れますしね。曰く「事態を悪化させたのは弁護団だ」と。
あと、弁護団は「時流」を甘く見すぎていたようにも感じられます。「世論の判断」の影響度が従来以上に増すであろう裁判員制度が1年後となった今、判断基準の明確化を求められている裁判所が、死刑の必要条件を満たしかつ「微少な検証余地はあっても全体として同情/忖度の余地の無い」元少年の刑を、灰色な判断基準に基づいて無期懲役に止める積極的理由はありません。そこらへんの空気をどこまで弁護団が読んで裁判戦術を考えていたかには、個人的に大いに疑問です。
いずれにしても、今回の判決は、「死刑の存在が世論のコンセンサスを得た結果」というよりは、「元少年の存在以上に弁護団の言動が世論のコンセンサスを得られなかった結果」と総括されるべきでしょう。そして、何より本村氏の言動が世論のシンパシィを集めた結果でもあります。
【光母子殺害・本村さん会見(1)】「彼も覚悟していたんじゃないかと…」
【光母子殺害・本村さん会見(2)】「彼が納得しているか見極めたくて、背中を見つめていた」
【光母子殺害・本村さん会見(3)】「弁護人の正義は、事実を歪曲したり、黒を白やグレーに変えることではないと思う」
【光母子殺害・本村さん会見(4)完】「この国は不正義をまかり通せる国ではないと信じてきた」
【光母子殺害・弁護側会見(1)】「裁判所は被告人の心を完全に見誤った」
【光母子殺害・弁護側会見(2)】「被告は冷静に『真実を述べてきた』」
【光母子殺害・弁護側会見(3)】「事件は厳罰化のために使われた」
【光母子殺害・弁護側会見(4)完】「私たちの弁護(活動)は間違っていない」
同じ計算尽くしの上での発言という点では、(過去分も含めて)安田弁護士の主張と本村氏の会見に大きな差はありません。しかし、死刑制度の問題指摘のストレートさと、社会からのシンパシィ喚起効果という点で、安田弁護士は本村氏の足元に遠く及ばない。この両者の思想や能力というより真摯さの差が、「無期懲役の可能性もあった」元少年を絞首台へ送ることとなりました。弁護団は己が信条や主張ではなく、その結果をもたらした己が非才と不明を恥じるべきでしょう。「司法ビジネスに携わるプロ」として。
山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた当時18歳の元少年(27)の差し戻し控訴審判決公判が22日、広島高裁で開かれ、楢崎康英裁判長は「死刑を回避する事情を見いだすすべもなくなった」と述べ、死刑を言い渡した。
犯行時少年の死刑判決は、連続リンチ殺人で当時18~19歳の元少年3人に対する2005年の名古屋高裁判決以来。弁護側は上告した。
楢崎裁判長は「何ら落ち度のない2名の生命と尊厳を踏みにじり、冷酷、残虐で非人間的だ」と指弾した。
本村弥生さん=当時(23)=と長女夕夏ちゃん=同(11カ月)=への殺意などを一転否定したことを「虚偽の弁解」と断じ、「元少年は犯した罪の深刻さと向き合うことを放棄し、死刑を免れようと懸命になっているだけだ。反省心を欠いており、極刑はやむを得ない」と述べた。
最高裁が06年6月、「特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかない」として一、二審の無期懲役判決を破棄し、審理を差し戻していた。
楢崎裁判長は、殺意の否定を「起訴後6年半以上も話していないことを新しく供述し、不自然で不合理だ」と判断。遺体の状況にも整合しないとして退け、弥生さんへの乱暴目的も認定した。
元少年の年齢や精神的な未熟さを犯行の背景とする一方、死刑を回避する事情とまではいえないと指摘。その上で「遺族に対する謝罪、反省の弁は表面的で、刑事責任の軽減を図る偽りの言動。改善更生の期待を裏切り、虚偽の弁解を考え出しており、反社会性は増した」と非難した。
(4月22日 時事通信)
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