スポーツもビジネスも成功体験こそが最大の呪縛な件について

「クオリティの高さこそが日本製品の競争力」の固定観念に縛られて衰退の一途を辿りつつある日本の製造業界と、世界のパワー&スタミナ柔道を一段下に見続け、気付けばロンドン五輪で遂に勝ちきれなくなった日本柔道界。この両者は、過去の成功体験に縛られた結果、今日の惨状に陥ったという点でよく似ている。

なまじっか、昔のやり方で成功し続けてきたから、「勝利と敗北の境界線」を自分が越えるまで、自分達の立ち位置の実態について気が付かないのは、仕方ないんだけどね。でも、一度その境界線を越えてしまうと、再び勝者サイドに戻るのって、相当難しいんだよなー。とりあえず、どうするんだろ?日本柔道界の偉い人達は。

史上初の屈辱!男子史上最弱の金「ゼロ」…柔道

◆ロンドン五輪柔道(3日・エクセル) 日本のお家芸、男子柔道が大惨敗を喫した。最後のとりでとなった男子100キロ超級・上川大樹(22)=京葉ガス=が、金メダルにかすりもしない2回戦敗退。今大会は7階級で銀2、銅2のメダルを獲得したが、64年東京大会から10大会で獲得してきた金メダルが、五輪史上初めて「0」に終わる歴史的大敗。全日本柔道連盟の吉村和郎・強化委員長(61)は「進退伺を出す」と引責辞任を申し出た。

伝統のお家芸が、いとも簡単に崩壊した。負の連鎖を食い止められず、ついに男子が、バラ色の畳のロンドンで1個も金メダルを取ることなく終戦。代表7人、全員が世界の激流にのみ込まれた。

正式競技となった64年東京大会からの初の屈辱だ。試合後、吉村強化委員長は「これは俺の責任だ。進退伺を出す」と引責辞任を申し出た。「最低でも金3個」とした指揮官の篠原信一代表監督(39)は「非常に申し訳ない気持ちでいっぱい」とし進退について「上に任せる」と一任した。

最大の敗因は、国際化の波に乗り切れなかったことと、重圧のかかる試合で、肝心の選手が精神的に強くなり切れなかったことだろう。吉村委員長は「競った時の弱さ、ツメの甘さ。試合中に指示を受けず、自分で動き切る選手を作り切れなかった」と釈明した。

09年のルール変更、五輪初導入の世界ランキング制に対応しきれなかった。上位世界ランクの維持に、国際大会への派遣を倍増。模索しながら強化合宿も過去にないほど増やした。結果、けが人が続出し、鈴木桂治ら実力ある選手が満身創痍(そうい)に。精神強化の一環に「ついてこられないヤツはいらん」とベテランの尻をたたき、若手をたきつかせた。だが、100キロ級・穴井隆将の2回戦敗退を象徴するように選手はもろかった。篠原監督は「金メダルを取りたいという意欲が日本より世界が勝っていた」と自己分析した。

足取りや抱きつきが禁止になり、日本に有利と思われた。だが、外国勢は3年後のロンドンに合わせ対策を練り、中量2階級で金の韓国など、日本柔道の常識を覆すような投げを放ってきた。正対する日本の正統派柔道がもはや時代についていけなくなった。山下泰裕氏(84年ロサンゼルス五輪無差別級金)は「(金メダルゼロの)可能性はあると思っていたが、本当に残念。環境の変化に適応しなければ生き残れない」と指摘する。

今後は監督人事なども含めた対策が求められる。強化委員長の後任候補のひとりでもある斉藤仁・強化副委員長は「結果を真摯(しんし)に受け止める。日本の柔道の新たなスタート」と苦渋の表情で話した。

「柔道のメダルは金しかない」―。常勝日本の常套(じょうとう)句は、もはや過去のもの。現実としっかり向き合わなければ、4年後も同じ轍(てつ)を踏むことになるだろう。

◆上川 大樹(かみかわ・だいき)1989年11月9日、山口県出身。明大から京葉ガスへ。10年に世界選手権無差別級を制した。全日本選抜体重別選手権は昨年初優勝。得意は内股、払い腰。185センチ、140キロ。

(8月4日 スポーツ報知)

方や、下馬評を覆し、44年ぶりに五輪の準決勝に駒を進めた男子U-23をはじめ、絶好調なのがサッカー界。この結果を観て、アスリート予備軍の卵たちは、どちらの世界に魅力や将来性、光を感じるだろうか。今回卵達が得た原体験の差は、10年後、柔道界とサッカー界の力の差として、大きく反映されることになるだろうな。10年前の日本の製造業とアジアの製造業との関係がそうであったように。

ここで「【MAD】這いよれ!佐天さん」を紹介。


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明日の午前中までオフ。よし、遊ぶぞ!アニメ観るぞ!「スマプリ」観るぞ!…え?休息?何それ。

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