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光明皇后はどうしてこの二振りを持ち出し、そして大仏の足下に埋納したのか。山岸涼子先生あたりが、面白いミステリー短編に仕立て上げてくれるといーなー(^^)/
1250年…幻の大刀 聖武天皇ゆかりの品だった 奈良・東大寺出土
奈良市の東大寺大仏の足下から明治40年に出土した国宝・金堂鎮壇具(こんどうちんだんぐ)の金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)2本が、同寺を創建した聖武天皇没後に妻の光明皇后が大仏に献納し、その後約1250年にわたって行方が分からなくなっていた「陰寶劔(いんほうけん)」と「陽寶劔(ようほうけん)」だったこと分かり、元興寺文化財研究所(奈良市)と東大寺が25日、発表した。2本は、大仏に献納された聖武天皇の遺品目録「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」の大刀の項目の筆頭に記された正倉院宝物。献納後に光明皇后が持ち出し、埋納した可能性が高い。
同研究所によると、陰・陽寶劔の記載欄にはいずれも献納を取り下げる意味の「除物(じょもつ)」の付箋が張られ、大仏殿竣工(しゅんこう)翌年で光明皇后の死去前年の759年12月26日に正倉院から出された記録が残っている。除物の付箋がある宝物は7件あるが、所在が判明したのは今回が初めて。
同研究所のX線調査で、大刀のさびついた刀身の内側の根本からそれぞれ「陰劔」「陽劔」という象眼(ぞうがん)された銘文を発見。東大寺によると、大刀はいずれも長さは約98センチで鞘は漆で塗られ、金や銀の装飾が施されており、光明皇后が756年に聖武天皇の四十九日法要に合わせて献納した陰・陽寶劔と刀身の長さや装飾の特徴もほぼ一致した。
2本は、明治40年の大仏殿修理の際、本尊・盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)(国宝)の右ひざの下あたりから出土し、金銀荘大刀として同時期に周辺から出土した銀の壺や水晶合子(ごうす)などとともに地鎮のための鎮壇具として昭和5年に国宝指定された。
■杉本一樹・宮内庁正倉院事務所長の話 「除物とある宝物の用途が判明した初めての例で非常に重要。残りの金堂鎮壇具も除物された宝物の可能性がある」
(10月25日 産経新聞)
とりあえず、もう少ししたらどっかのRPGで、最強の宝剣としてデビューするのは必至でしょうね>「陰寶劔」と「陽寶劔」。「ちんぽう帳」は分からないけど(笑)。
ここで「El Shaddai【エルシャダイ】 NO!NO!PROBLEM 【けいおん!】」を紹介。
「堕天使にふれたよ!」。
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