少女の気高さは賞賛に値する。しかし、その代償で彼女は傷ついた。正しい行為を行った者が傷ついて、褒められて、同情されて終わりでは、次に繋がらない。傷つけた者たちが相応のペナルティを受けて、同じ過ちを繰り返さないように矯正されなければ、いずれ、「次の」自己犠牲少女が生まれるだけだ。
あるいは、善人が自己犠牲を余儀なくされることがなく、愚者が愚行を起こせない環境を、あらかじめ演出しておくことが重要だ。例えるならば、こんな感じの。
見た目ごく普通の日本人小学生・西住みほ(仮)
そこの3人。フィリピンから来たミシェルちゃんをいじめるのは、もうやめて!
どこぞの3人
はっ、スペックばかりたいそうで、ケンカの一つもできないヘタレがでしゃばるんじゃねえ。だいたい、お前には関係ねー話だろ。
みほ(仮)
ケンカができなかったのは、昨日までの私。でも、お許しは頂いたわ。今日の私は、あなたたちに拳をふりあげることができる。叩きのめすこともできる。だけど、私はあなたたちを殴らない。それが強者たる私の誇り。
困っている友達を守らなかったら、自分が守って欲しい時、誰も私を助けてくれない。それは悲しい。私は私のために、自分の誇りと一緒に友達を守る。そのために、あなたたちとミシェルちゃんの間に立ち続けて見せる。どんなに脅かされても、拳を振り上げることなく、最後まで。
アメリカからの留学生・ケイ(仮)
よく吼えたわ、みほ。あんたのその覚悟が見たかった。もともとその3人は気に入らなかったけど、あんたの側に立つわ。いつもの「ご主人さま」としてじゃなく、対等なフレンドとしてね。
イギリスかぶれのオーストラリア娘・ダージリン(仮)
こんな格言をご存じかしら。「正確に物事を観察する能力は、それを有していない人間から皮肉と呼ばれる」。そちらのお三方と事を構えるつもりはなかったけれど、ここで事を構えないと、私の方が愚か者と呼ばれそうですわね。あら?これは皮肉ではありませんわよ。ビジネスライクに状況を見た結論ですわ。
日・米・豪+α
さあ、「どうします?」「どうする?」「どうしましょう?」
「どうするつもりだ」
どこぞの三国人もとい3人は退散。争いは、起こる前に起こさせなければいい。関係者のメンツは保たれ、血も流れない。それが一番。あと、上の例えは、集団的ナントカを彷彿させるかもしれないけど、それは気のせい。たぶん、気のせい。
愛知県豊橋市教育委員会は1日、同市立小学校の3年生の女子児童(8)が、いじめられている同級生をかばったところ、別の同級生3人から暴力を受けて軽いけがをしたと発表した。
発表によると、女子児童は6月3日、休み時間に同級生の男子児童2人と女子児童1人から背中を強くたたかれたり、跳びげりされたりして頭にこぶができるなどした。女子児童は前日、別の女子児童がたびたび悪口などの嫌がらせを受けているのを見かねて、「私を代わりにいじめて」とかばう発言をしており、それを聞いた3人が暴力をふるったという。
担任の男性教諭(23)が止め、女子児童は翌4日は普段通りに通学したが、5日に全治1週間の診断を受けて以降は学校を休んでいた。26日に暴力をふるった児童やその保護者が謝罪し、女子児童は27日から登校している。
加藤正俊教育長は「児童へのアンケートなどを行っていたが、いじめを認識できなかった。早く気づくことができる体制を作っていきたい」と語った。
(7月2日 読売新聞)
ここで「【MAD】千夜ちゃんが変態な「ご注文はうさぎですか?」 #7」を紹介。
ツッコミ不在は良識派へのいじめですか?
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