http://d.hatena.ne.jp/kagura-may/20070525/p1
先日のこちらのエントリーにて、「今回の差し戻し控訴審における安田好弘ら弁護団の電波ロジック=死刑回避に妄執し、被告の人権を無視した暴挙」と申し上げましたが、よく考えてみると、これは間違いだったかもしれません。何故なら、過去一審二審での弁護団の主張「被告は罪を犯し、その罪を償うこともできるが、それでも死刑は許されない」に対し、今回の控訴審のそれは「被告は罪を犯したが、その罪を償うには人格欠損の多い人間であり、それ故に死刑は許されない」にシフトしているからです。
これが意味するところは二つ。「弁護団は、今回の裁判において、従来のスタンス(被告の責任能力は関係なく死刑は原則として廃止すべき)から後退することを暗黙のうちに認めた」そして「被告を必要以上に貶め、人格破綻者の責任能力の有無を問うという局地戦で接戦に持ち込み、本件の死刑判決回避へ一縷の望みを繋ぐ方針にシフトした」。そのやり口は人として醜悪ではあっても、効果の程は疑問ではあっても、敗訴すれば倍のダメージと汚名を被告が被る事になるとしても、過去一・二審の彼らと比べればある意味現実的な対応ではあります。
しかし、その結果、仮に万一死刑回避という戦術的勝利を安田好弘らが得たとしても、それはすなわち彼らの戦略的敗北の上に成り立ったもの。裁判に勝っても負けても、安田好弘らの評価は地に落ちることになりましょう。
この惨状を招いたものは何なのか?。それは言うまでも無く、安田好弘ら人権派弁護士が裁判という場を彼らの思想/政治的活動の場にした「ツケ」。彼らが依頼人へのベストエフォートをもたらすべき場にあって、自分たちにとっての思想的満足を目指した故に、今回のような「誰も幸せになれない」裁判劇は起き、長引くことになったのではないでしょうか。
戦術的勝利は戦略的敗北を覆すこと能わず。最優先事項を見定めないまま目先の命題を軽視し小細工を弄すれば、大勢に影響を与えないばかりか、全てを失うことにもなる。今回のようなケースでは尚の事。安田好弘ら人権派連中には、それを実感&猛省して、せめて弁護士の顔の時は、弁護士としての職務に精励して欲しいですね。
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