週末に観て来ました>「ゲド戦記」。で、感想。「そりゃ、宮崎駿氏もアカデミーの名誉職を蹴って現役続行を決断するわ。自分の美意識のせいで息子とジブリがこんなものを世に出す羽目になっちゃったんだから、自分で完全版作らないと死んでも死にきれんだろー」。もっとも、今回の「責任」の半分は現場の反感を買い捲った鈴木敏夫Pの暴走なんでしょうけど。
原作は学生時に4巻まで読んだっきりなので、「笑う大天使」の時のように原作を活かしきれているかどうかの判断はできませんが、あれと同じように(否あれ以上に)、台詞でキャラクターの思考を安直に語らせる手抜きには同様の萎えを感じました。映画は絵と登場人物の表情で語れよ。ドラマCDじゃないんだからさ。
あと、原作(特に1.2巻?)を読み込んでおけば少しは違うのでしょうが、世界観の描写が決定的に欠けている一方で、ダラダラと登場人物の描写だけが続くため、序盤で気力を無駄に消費しました(もちろん、懇切丁寧に状況説明するのがよい映画という訳じゃないですが)。で、その先一気にテンポ良く行くのかなー…と思ったらそこから先も淡々と、そんでもって、いきなり「よーく考えよう。命は大事だよ」って、おい、この作品にはメリハリってものがないのか?。原作前半すっ飛ばした判断の是非よりも、そこらへんに関する作り手の力量(≒本気度)が甚だ疑問。
そしてこれが個人的に一番の欠点というか問題と思った点。吾郎監督ってもしかして「アジテーター自己中心派」」?。「社会に対して警告メッセージ出してやるぜ、頭使わずに受け取ってね☆」スメルがプンプンしてどうにも…。なんて言うか、宮崎駿氏@お父ちゃんと違って観客の感性に(僅かなりとも)期待しようというスタンスやセンスが見受けられないですよ。
この、作品の出来の耐えられない軽さと主張の押し付けがましさとのギャップ。正直言って、駆け出しの商業作家というより駆け出しの同人作家的なものを感じるのですね。宮崎吾朗氏の表現手法には。
来週は、「時をかける少女」@細田守監督を観に行く予定。こちらは「優等生な商業作家&こだわりな同人作家のハイブリッド」細田監督なんで、安心して観てられそうな予感ですが、さてさて。
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とりあえずこれから観に行く人も、既に観に行っちゃった人も一読しておくことをお勧めいたします。
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