橋本龍太郎(はしもと・りゅうたろう)元首相が1日午後2時、多臓器不全、敗血症性ショックのため東京都新宿区の国立国際医療センターで死去した。68歳だった。自宅は東京都港区南麻布。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。喪主は長男龍(りょう)氏。政府、自民党は後日、内閣・自民党合同葬を行うことを検討している。
日本歯科医師連盟からの1億円献金隠し事件を受け、2004年7月に自民党橋本派会長を辞任。昨年9月の衆院選に出馬せず政界を引退していた。6月4日夜、腹痛を訴え入院。腸管虚血との診断を受け、大腸の大部分を切除するなどの手術を受けていた。
厚相、運輸相、自民党幹事長、蔵相、党政調会長、通産相などを歴任し、1996年1月、村山富市首相の退陣表明を受けて第82代首相に就任。自民、社民、さきがけ3党連立政権の下で財政構造改革や行政改革など「六大改革」を掲げ、現在の1府12省庁の中央省庁再編に道筋を付けた。
(共同通信) – 7月1日
竹下派七奉行屈指の政策通、「政界の玉三郎(というより個人的には「今石田三成」だと思う)」逝く。享年68歳。政治家としては功罪相半ばな御仁で、人物的にはどうしても好きになれませんでしたが、「六大改革」をはじめ今に繋がる色々な施策の礎を築いた点については素直に評価し、謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
これで、七奉行で存命なのは羽田孜・渡部恒三・小沢一郎の3名のみ(今は全員党外の人間だけど)。東京佐川急便事件後の華やかな内ゲバin竹下派からは早14年ですか…。流れ去った時間と共に、当時の「下品ながら元気に党利党略を揉んでいた七奉行」の姿を思い出すと、なんだか無性に寂しい気分になってしまいます。
橋龍がこの本を書いた経緯とか考えると、世の中最後は生き残った者勝ちなのかなーとか考えてしまいますね。なんとなく、橋龍=秀吉、小沢=家康な気分。
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