「体罰は教育」と戸塚校長=刑期終え出所-ヨットスクール事件

 愛知県美浜町の戸塚ヨットスクールで訓練生が死亡するなどした事件で、傷害致死罪などに問われ、懲役6年の判決を受けた戸塚宏校長(65)が29日、刑期満了で静岡刑務所(静岡市葵区)を出所。スクールへの復帰を含め、教育分野で幅広く活動したい考えを示した。

戸塚校長は、記者会見で「体罰は教育です」「日本の荒廃をもたらした欧米型合理主義ではなく、日本の精神論が正しい」などと持論を展開。判決を批判し、再審に向け争っていく考えも示した。

(時事通信) – 4月29日

「収容所で社会不適合者や粗暴犯の人格矯正するのに体罰は必要です」っていうのは(いささか暴論だが)わかる。しかし、それは教育というより、対象者の人権は二の次の「躾のなっていない動物の調教」ではないだろうか?(言い方は悪いが)。そういう調教ないし矯正施設が一般社会で不要とは言わないが、それは、例えば戸塚YSに「厄介払い」を押し付けてきた親とYS間のような小さいコミュニティで終始させるべきものであり、あくまでもイレギュラーな存在であるべきだ。「幅広く」だなんてとんでもない。百歩譲っても、名大ヨット部のルールは世間のデファクトでしたか?と。

「日本の荒廃をもたらした欧米型合理主義ではなく、日本の精神論が正しい」

いやいやいやいや、どういうつもりで言っているか知らないが、とりあえず精神論と貴方の教育論は根本が違うから。動物の調教のように体罰や暴力で対象の人格を矯正するのは精神論じゃなく歪な合理主義だから。そして何より「貴方の精神論」には美意識・美学が無いよ。その口で「日本の精神論」なんて語らないで欲しい。

そもそも教育目的の体罰で人は死なない(教育は人を「生かし」「活かす」ためのもの)。そして教育のための体罰であったとして、その体罰の結果には教育機関だけでなく軍隊であっても上位者は責任を取る。それに対して、戸塚氏は子供を殺し、その責任を自分に課した裁判の判決を批判している。その観点から観ても、戸塚氏の体罰は教育目的から逸脱したただの暴力に過ぎず、かつ、上位者でありながらその責任を取ることに拒否反応を示した段階で同氏は教育者でもない。

戸塚ヨットスクールの全貌―現場取材 (週刊Books)

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