インサイダー取引、村上容疑者を逮捕

 「村上ファンド」によるニッポン放送株の不正売買を巡り、東京地検特捜部は5日、同ファンド代表の村上世彰(よしあき)容疑者(46)を証券取引法違反(インサイダー取引)の容疑で逮捕し、証券取引等監視委員会と合同で東京・六本木ヒルズのファンド関係会社、村上容疑者や幹部3人の自宅などを捜索した。

村上容疑者は容疑を認めている。

特捜部と監視委の調べでは、村上容疑者は、同ファンドの投資顧問会社だった「MACアセットマネジメント」の元役員らと共謀し、2004年11月8日、ライブドア前社長の堀江貴文被告(33)らから、ニッポン放送の発行済み株式数の5%以上を買い集めるとの情報を入手した上で、翌9日~05年1月26日までに、同放送株約193万株を計約99億5000万円で買い付けた疑い。

(読売新聞) – 6月5日

この「優秀なとっちゃん坊や」こと村上世彰容疑者は、結局、自分を批判している相手の顔を見ることなくゲームから降りてしまいました。出る杭は「単に出すぎた(儲けすぎた)」から打たれるのではなく、「周りの杭のルールから逸脱した」から打たれるのだと言う事を、最後の最後まで理解していなかった(あるいは理解していてもそれを認めることを拒否した)村上容疑者は、優秀なゲームマスターではありましたが、一人の大人としては大事な何かが欠けていたのでしょう。

今回の逮捕直前の記者会見も観ましたが、確かにこの人は悪人では無い。ついでにホリエモンも悪人では無い。でもこの人たちは、第三者的な視点から自分を見ることのできない「子供」です。子供だからこそ、既存のルールや大人の柵を意に介さず乗り越えることができた。そして、子供だからこそ、乗り越えた後どこまで走っていいのかを自分で判断することができず、「周りの杭のルールから逸脱した」杭に成り果て、周囲の人間を巻き込みながら自滅していった。そう、彼らは自分の信奉する「ロジック」以外に何も見えていなかった。それは決して悪ではありません。ただ「危うい」。そして、その危うさが今回致命傷となった訳です。が、さて、それは不可避の悲劇(あるいは喜劇)だったのでしょうか?。

これについての答えはさておき、村上容疑者は記者会見を開き、謝罪し、持論を述べるだけ述べて逮捕されました。その目的の一つは「言いたいことを言わずに捕まってたまるか!」という彼流の美意識の発露だったでしょうが(実際それなりに潔い。故に余計胡散臭いし星野批判は余計だけど)、自分ひとりが罪を被ることで、自分の作品である「村上ファンド」は存続させたいという意図もあったのではないかと思われます。

しかし、彼は甘い。会見の中で彼は3つ読み違えています(あるいは読み違えたフリをしています)。一つは特捜部の本音。一つは自分無き後のファンドに残った人間の本音。最後の一つはスポンサーの薄情さ。

特に特捜部。彼らは別に正義の味方を気取って村上容疑者を逮捕したわけではありません。特捜・検察に対して「村上を逃がしてはならじ」という後押しと後詰をしたのは、ライブドア事件で「押し切れず」、その代わりに秋前に村上-竹中で小泉勢力への追求ラインを確立しておきたい某勢力。特捜部の「一般投資家を騙した奴は許さない云々」なんてのは外向けのポーズに過ぎません。え?「そんな飼犬特捜部は日本の資本主義の成長を阻害している悪!」?。そうかもしれませんが、堀江容疑者や村上容疑者よりも周りの言うことを聞いてマーケットや制度に貢献している人間や、両容疑者の代わりになる有為な人材はゴマンと居ますから、資本市場に対してはともかく(それも一時的)、資本主義に対する影響とやらの心配は無用です。

ファンドに残った人間にとって、効果的なエグジットが期待できるのなら敢えて苦労の多い村上的手法を採る必要なんてどこにもありません。スポンサーにとって、竹中はじめ現・政府&政策関係者とのパイプとバックアップが無くなった上、世間の監視の目が煩い村上ファンドに金を預ける必然性なんてどこにもありません。散々「黒い目をしたユダヤ人」と渡り合っていながら、村上容疑者はどうしてあんな甘甘なコメントをしたのでしょうか。期待?それとも韜晦?謎ですねえ。

ともあれ、今後の展開についてこれだけは言えます。「本来の目的」のため必要とあれば、特捜部はファンド関係者を次々に投網にかけます。そしてその時(金と秘密はともかく)村上ファンドというシステムを守ってくれる人は誰もいないでしょう。使えなくなった丁稚を守る主人なんて物語の中にしかいませんから。

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