大阪が生んだ希代の発明家が5日、亡くなった。日清食品会長の安藤百福さん。96歳だった。「20世紀最大の発明の一つ」と言われるインスタントラーメンの生みの親であり、「食が足りてこそ世の中が平和になる」が口癖。晩年は宇宙食ラーメンの開発に参加するなど、最後まで“開発者魂”は衰えることがなかった。
安藤百福さんの死去を受け日清食品本社(大阪市淀川区)では6日、総務部の社員が早朝から取引先などからの電話対応に追われた。本社玄関には半旗が掲げられ、即席めん文化の創業者に弔意を表した。
この日は土曜日とあって大半の部署は休みだが、問い合わせ窓口となっている総務部では午前7時ごろから約10人が出社。黒いネクタイをつけて業務にあたった。
安藤さんは4日の仕事始め式では元気な姿を見せ、幹部社員らに訓示。そのあと、同社で毎年開かれている賀詞交換会と役員との昼食会に臨んだ。
仕事始め式のあいさつは漢字8文字のタイトルで言い表すことが恒例で、今年は「企業在人(きぎょうざいじん) 成業在天(せいぎょうざいてん)」だった。少し風邪気味だったものの、元気な様子だったという。
社員の一人は「毎年、どんなタイトルの話をされるのかが楽しみの一つだった。もう聞けなくなるのは残念」と話した。役員との昼食会では、チキンラーメンに角餅を入れる恒例の「雑煮」をおいしそうに食べていたという。
(1月6日 産経新聞)
経営者としての安藤氏のことは「私の履歴書」レベルでしか存じませんが、学生時代は度々「チキンラーメン」のお世話になっていました。むしろそちらの意味の感謝を込めて。合掌。
役員との昼食会では、チキンラーメンに角餅を入れる恒例の「雑煮」をおいしそうに食べていたという。
これこそがホンモノの愛社精神の発露。あるいは、成し遂げた者だけができる粋なお洒落。逆に言えば、故・藤田田氏@日本マクドナルドが、あれだけの功と財を成しながら、人としても経営者としても、周囲から尊敬の対象外であり続けた理由がここにある。彼は、自分が売っているモノと買っている層を終生軽蔑していましたからね。
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