小泉純一郎首相は15日朝、東京・九段北の靖国神社を参拝した。終戦記念日の参拝は2001年の就任後初めてで、9月の退任を控えて5年前の自民党総裁選時の公約を最後に実行した。現職首相の15日参拝は、1985年の中曽根康弘氏以来21年ぶり。参拝中止を求めていた中国や韓国は強く反発している。また、靖国問題が今回の総裁選の主要な争点になるのは不可避とみられる。
首相は首相官邸で「8月15日参拝」に踏み切った理由について「15日を避けても(中韓両国などの)批判、反発は変わらない。いつ行っても同じだ。ならばきょうが適切な日だ」と記者団に語った。一方、中国は「(日本による)侵略戦争の被害国の人民感情を傷つけた」などと非難。野党や与党の一部からも批判の声が上がった。
首相は同日、モーニング姿で午前7時40分に靖国神社に公用車で到着。到着殿から拝殿を通って同47分、本殿に昇り一礼して参拝した。「二礼二拍手一礼」の神道形式は取らなかった。参拝に先立ち、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳するとともに、献花料3万円を私費で納めた。
(時事通信) – 8月15日
他の公約は結構破ってる(ニガワラ)小泉首相ですが、「靖国参拝in8.15」だけは守りましたね。とりあえずは「良くやった」…かな?。参拝の是非と言うより、参拝と言う踏み絵を遂に踏み絵にさせなかった点について。
いつもの「首相の靖国参拝は近隣外交を配慮しない独善的行動だ」という近視眼的&先に結論ありきな方々の批判については、「お説ごもっとも(はぁと)」と笑顔で静かに拝聴させて頂くとして(連中の本音については「もはや語るに及ばず」ですし)、今後重要となるのは、今回の成果を外交戦略にどう活かすかでしょうね。
先日の北朝鮮ミサイル発射騒動の時もそうでしたが、今の日本は外交戦略の転換期にあります。ランドパワー国家戦略を露骨に表に出し始めた中国の「中国+南北朝鮮枢軸」に対し、米国を軸とした「日+米+台湾+フィリピン&マレー諸国(+インド?)」の「環太平洋連合」が構築されていく中、日本のポジションをどう設定しどう高めていくのか。想定される幾つかの可能性と結末、日本は今それらの岐路に立っています。
この状況下で、江沢民の「靖国=恒久的な外交圧力カード化指示」に代表される中国の対日外交戦略を知りながら、なおも終わりなき妥協を進めれば、日本は良くて両陣営の緩衝地域、悪くすれば「環太平洋連合内における枢軸側の楔」としての不安定なポジションしか得られなくなる虞があります。ならば、「靖国は外交カードにならぬ」というパフォーマンスを取り続けることは、今この時点では浅慮狭量の謗りを受けたとしても、枢軸側の圧力外交の一手を封じるという一点において、今後数十年の「環太平洋連合」の一員としての日本外交の布石となるでしょう。小泉首相がそこまで考えて参拝したかどうかは知りませんが。
あと、これはパーペキに個人的な意見ですが、「形式と建前」って結構大事だと思うんですよね。現在の当事者の動機はどうあれ「平和のための参拝」という建前を口にして形式的に靖国を参拝し続ければ、続けているという事実が行為者の思惑とは別に共通認識として国民の間に定着すれば、「平和のための参拝」は次世代の真実になるんじゃないかなと。この場合、大事なのは自らの意志で続けること。他人の意志に左右されないことじゃないかと。
「そんなの無理!」?。んなことないでしょ。現に日教組はそのたゆまぬ努力で、目的は歪ながら一定の成果を出し続けてきたんだから。生きた前例が目の前にあって、それを参考にしない手はありません(笑)。もちろん、日教組の轍をそのまま踏むことは国に害を成す所作。「真実」を醸成する過程は十分に留意し、国民としては政府の動向への監視の目を一層強める必要はあります。そうすることで、政治や外交というものに対する有権者の審美眼も鍛えられるというものではないでしょうか。
歴史に善悪無く、政治に正邪無し。完璧な政府も、完璧な国民も、完璧な歴史もこの世にはありはしません。そして、どう喚いたって現在と未来はそれら不完全な存在の上にしか存在し得ない。ならば、今の我々は、過去の失敗をせいぜい上手に踏み台にするしかないのです。だから神楽は、幾つかの矛盾を抱えながらもそれを承知の上で、日本の為政者は靖国参拝を継続すべきだと考えます。靖国参拝を「相手側の外交カード」にせず、最終的には「日本側の外交カード」とするために。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/a/42/
ちなみに、A級戦犯問題の事実関係については、大前研一氏のこのコラムとほぼ見解を同じくします。…って、あれ?大前氏ってばこっそり「転向」してないか?(^^;>最終章。
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