週刊ビッグコミックスピリッツ15号@2006年

今号、奇しくも今の日本の国政・国家観について言及している作品が3作並んでいました。で、読み比べてみると、それを漫画という手法で表現するに際しての各作家のスタンスの差異が垣間見えてちょっと面白い。

まず「日本沈没」。言うまでも無く小野寺の「日本」観は、よくある青年の主張に過ぎません。そもそもシニカルな傍観者を決め込んでいる時点で、彼も彼が非難している気持ち悪いオタクと根底では変わらない。主張の内容もそのスタンスに準じて批判のための批判でしかなく、次のアクションへの視座を伴わないという点で非常に薄っぺらでしかない。そして彼自身がそれに気付いているし、その心情に気付いてかつ自分を突き放している田所に対し、やり場の無い怒りと嫌悪感を持っている。

実際の作者の心情・主張は小野寺に近いのでしょうね。P62-66の小野寺のコメントは演出というには少々行間の本音が生臭い。ただ、構成的に「悍馬」小野寺を受け止める「大人」田所を同時に描くことで作品全体のバランスは取れているので、漫画としては一キャラクターの一演出に止める事ができている。

一方、「日本沈没」の田所のように主役キャラクターの主張を受け止める「大人」が作中にいないため、どこまで行っても言いっぱなし&風呂敷を広げる以上の主張が出来ていないのが「DAWN」。この作品、視点的に評価できる要素は幾つかあるのですが、実行段階に至る手法論の精査、主張のリアリティを高めるためのフィルタリングを行うキャラクターがいないので、最後はいつもご都合主義な机上論をごり押しする展開にならざるを得ない。だから主人公の発言は一見格好良くてもいつも空中戦で現実味に欠ける。思うにこの作者は、作品を描く為の勉強を本やweb、特定のアドバイザーからのアドバイスを介してしかやっていないのでしょうね。第三者とのブレーンストーミングなどによる「練り」の形跡が作中から感じられない。

それに対して最近の「現在官僚系もふ」の作者は、「DAWN」的な手法の限界を悟りつつあるように思います。今号から登場の玲鈴のキャラ立てと主人公との関係にしても、作者が描きたがっているのは個人単位での日中関係の描写というより、その現状を背景にしたエンタテイメント(ラブコメまでいくのかなあ?(^^)ですね。BSE編後半の頃からリアリティの追求から距離を置き始めているように感じてましたが、その傾向が段々強まってきてます。それが奏功するかはまだ分かりませんが、エンターテイメントとしての漫画を描くにあたって、シチュの詳細設定を自分の腹に落ちる範囲内に留めるorそのための線引きを意識的に行うのは、ある意味妥当なやりかたではないでしょうか。

 

今号の注目作品

「日本沈没」~この作者は「本音を腹に収めている大人」を描くのが上手い。

「ボーイズ・オン・ザ・ラン」~溜めて溜めて次回「涙の宴会場」かぁ…どういう風に決壊するのか楽しみ。

「バンビーノ!」~伴、余裕ナッシング。気持ちは分かるけど。

「団地ともお」~最近神がかっている本作。凄いぞ時空を自在に操る子供たち。ちなみにバーコードバトラーって15年前のゲームなんですよねえ。でも今目の前にコレ持ってこられたら遊ぶ。絶対遊ぶ。遊ばせてくれ。

「fine」~Who is ハムクロ?どっかで再登場しそうなキャラですね。

「QUOJUZ」~もうずぶずぶ。

「ひとりずもう」~異性の目がない教室なんて殺風景な上に緊張感もないからなあ。男or女としての成長にブレーキがかかるだけと思うのは偏見でしょうか? 次回からの女子高生活描写に期待。

「現在官僚系もふ」~三角関係のフラグが立った!全然自然体じゃないけれど!ところで、次回は禁断の九段下デートでFA?(やるなぁ>作者)

「DAWN」~自国の主張をごり押しするだけの特アの外交姿勢は既に世界から非難の対象になってるわけで。あと、外交において特定のリアクションを先方に期待する「先走りアクション」なんてありえないわけで(やる人もいるけど。某洋平とか)。

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