高校教科書検定 「日本の竹島、韓国占拠」 領土、正確な記述求める

 文部科学省は二十九日、来春から使用される高校教科書の検定結果を発表した。領土問題や北朝鮮による拉致事件、「ジェンダー」用語などでより正確な記述を求める検定意見が付けられ、出版社側が修正した。一方で、南京事件の犠牲者数について二十万人以上説が最有力とするなど近現代史を中心に不適切な記述が数多く残った。

竹島(島根県隠岐の島町)と尖閣諸島(沖縄県石垣市)は、前回検定(平成十三年度)より記述が増え、地理歴史、公民では世界史、倫理を除くほとんどの教科書が記述。四十カ所ある記述のうち、半数を超える二十六カ所に日本固有の領土であることを明確にするよう求めるなどの検定意見が付いた。

尖閣諸島については「北方領土、竹島と違い日本が実効支配しており『領土問題』ではない」との立場から意見を付け、「日本の領土である北方領土と竹島は、それぞれロシアと韓国に占拠され、領土問題となっている。尖閣諸島も日本の領土だが中国などが領有を主張している」などと、北方領土や竹島の扱いと区別する記述に改められた。

北朝鮮による拉致事件では、解決していないことを強調するよう求める検定意見が目立った。「北朝鮮から帰国した拉致被害者たち」との写真説明に「解決済みであるかのように誤解する恐れのある表現だ」との意見が付き、「しかし、まだ拉致被害者全員の帰国は実現していません」と追加された。

「ジェンダー」(社会的・文化的な性差)については現代社会や家庭科など三十八種類が記述。「男らしさ・女らしさ」の否定ととられる記述などに検定意見が付いた。「ジェンダーフリー」(性差否定)は、現代社会の二種類にあったが、検定によって消えた。

一方で、検定をパスした不適切記述も相次いだ。南京事件の犠牲者は二十万人以上説が最有力とする記述が登場するなど誇大な数字が記述されている。慰安婦については「日本軍により慰安婦にされた女性」が「日本軍の慰安婦にされた女性」に修正されるなど、軍による強制連行に検定意見が付いたが、主語のない強制連行記述はフリーパス。慰安婦を取り上げた二十五種類中、「強制的に連行」が二種類、「連行」が二種類ある。

■ABCから復習 学力低下深刻 広がる難易差

高校生の学力について二極化が広がる中、教科書会社は難易度が異なる複数の教科書を申請。生徒の学力に応じて教科書を選べる採択対策が定着した。大学受験問題を掲載し、進学対策を鮮明にした教科書もあれば、一方で、中学で習う英語の「ABC…」の復習から始まるものも。学力低下の深刻ぶりも浮き彫りとなった。

高一生向けの英語Iで開隆堂は、進学校向けの教科書の難易度を上げ、逆に学力の低い学校向けの教科書レベルをさらに下げた。進学校向けは、導入部分の説明文を日本語から英語に。全体の英文量も増やした。逆に、やさしい教科書では、アルファベットを列記、十カ所の空白を埋めるコーナーから始め、一文あたりの単語数も少なくした。中学校で習う「不規則動詞の活用表」を巻末に掲載。大半が中学の復習で占めた。

このほか、文英堂や桐原書店なども難易度別に教科書を発行。桐原書店のやさしい教科書では巻末の単語リストにカタカナで読み方を振っており、担当者は「上位層の学力は落ちていないが、中位層以下が落ちている。bとdの区別がつかない生徒もいる。学校からは『やさしくしてくれ』との要望が多い」と話した。

合格した三十四種類の英語I教科書を見ると、四種類が「ABC…」の復習を盛り込んでおり、現行の採択率に照らした場合、一割弱の十三万人がこうしたやさしい教科書で学ぶ計算だ。

国語総合も同じ傾向。二社が、やさしい教科書を新たに作成、種類を増やし三種類に。このうちの一つは、これまでより文章もやさしく、写真も多用。音読でつまずかないようルビも増やし、大きさもノート大にして生徒が書き込んで使うタイプにした。

数学Iでは三種類の教科書を出していた会社が今回、さらにやさしいタイプを出版。「少しでも教科書を開いてほしい」との配慮で方程式と不等式の章ではマンガが登場した。

理科では、三社が理科総合Aや化学Iなどで発行種類を増やした。理科総合Aで、これまでより難しい教科書を出した会社は、過去のセンター試験問題を載せ、「発展的内容」の問題も登場させた。化学Iを三種類にした会社は、進学の有無や受験先の文系・理系の別を考えて編集。進学希望者向けには発展を多く入れた。

(産経新聞) – 3月30日

今更言うまでもないことですが、近代の公教育制度は、均質・大量の労働力及び兵員予備軍を育成するために作られたものです。そして、後者はともかく前者において、「労働分配率の目標水準は付加価値と人件費の両立ての上昇によって安定・維持するもの」と思われてきた時代が終わった今、労働市場全体の質の底上げを目的とする均質的な公教育は、その存在意義を失いつつあると言えましょう。

昨今、社会格差の拡大がとかく話題になりますが、産業各々の付加価値の源泉とそれに占める人的な要素の違いが構造的に労働者の所得格差拡大を促がしてきたのは、10年以上前からのこと。その格差が各家庭の生活レベルや子供の教育水準、果てにはコミュティの民度にまで浸透して目に見えて問題になったから大慌てというのは、正直今更何を言っているのかという気がします。

ぶっちゃけ、産業構造上この流れはもう後には戻りません。であれば、教育行政が次善の策として、所得をベースにした各種格差を容認した上で、その格差に応じた段階的な教育サービス施策を進めるのは妥当なスタンスです。数年前に当時の文部省は「家庭という顧客のニーズに応じて」学習塾が公教育の補完的役割を果たすこと認めましたが、今回の記事にあるようなおおっぴらに教育水準の格差拡大を前提とした教科書制作・検定方針も、その方針に通じるものがあると言えましょう。なお、この手の話になるとドイツのマイスター制度の導入を声高に叫ぶ人がいますが、徒弟的手工業が成立する一部業態を除いて、かの国でもマイスター制度は崩壊しつつあることを彼らは知らないのでしょうか?

(ちなみに神楽は、学力格差は家庭の所得差において促がされる側面があるが、モラルや社会適応度の差については必ずしもそうではないと思っています。そこを故意に曲解して、低所得層を社会的な不満分子予備軍としてあげつらい煽る一部メディアには、違和感を禁じ得ません)

ニーズに合わせての細分化とは別に、国家のスタンスを明確にするという意味で一本化を進めねばならない領域もあります。領土問題や歴史問題についての国家の公式見解としての歴史教育がそうです。もちろん、歴史の多面性から鑑みて、ある特定の解が全ての疑問の解になることはありませんから、公的な歴史教育を受けた人間がそれに疑問を持つのは当然ありうる話です。しかし、国家としての見解のベースラインをそろえることは、彼らの疑問から発する諸議論の出発点を定めるためにも重要なことです。

今の日本にはその出発点の足並みが揃っておりません。そして、その間隙を突いて声の大きい某団体や一部政党が恣意的に「国民の」見解の「既成事実化」を進め、特アの一部国家がそれに便乗している状況です。その流れを押し止めるためにも、外交政策として草の根&教育レベルでの見解の一本化は急務だと思います。

教育は国策です。全ての国策に通ずる国策です。今そこにある危機以上に、その重要性をこの記事は示しています。

P.S.

少なくとも、どこぞの作家のように「二次方程式もろくに出来ないけど、六十五歳になる今日まで、全然不自由なかった(だから無理に勉強しなくてもいい)」という個人レベルの価値観(妄想)で語るべき問題ではないと神楽は思います>教育行政。

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