米の原爆投下「しょうがない」=ソ連参戦防ぐため-久間防衛相が講演

 先日のイラク戦争批判発言と真逆の「親米」発言ならいいって訳じゃねーぞ、と。この人、マジで人生経験と言うか苦労が足りないんじゃねえか?。言葉狩りがどうこう以前に、逆風下の現状に加えて、原爆投下日1月余り前&選挙直前にこんな発言したら、どんなリアクションが返ってくるか位、想像しろよ。

 ホント、安倍内閣の閣僚は政治的センス無さ過ぎな仁が多過ぎ。

(追記)この発言に対する言葉狩り的な野党&世論の反応に対して批判的なエントリーもネットで散見されるけど、それはあまりに「当たり前」過ぎて、却って事の本質の一端を見落としていますな。

 何故なら、政治家の発言とは、「一度口にしてしまった以上は絶対に歴史から消去できないもの」そして「本来そういう風に扱われることを前提に前後の文脈に解釈を左右されないよう細心の注意を払うべきもの」。言葉で食っている人間全般に言えることですが、TPOの弁え以前に、その認識に基づく発言は該当する職業人として基本動作ですよ。にもかかわらず、その意識が全くと言っていいほど備わっていないのが、今の安倍内閣の一部閣僚です。

 顧みて、彼らとは対照的にその感覚が異常に優れていたのが、小泉前総理ですな。彼のワンフレーズ発言はその賜物な訳ですが、悲しいかなその後継者たる安倍のボンは、それを理解できず、政敵を含めた全ての層に全て言葉で語ろうとして足元を掬われて自滅の一途。改めて言いましょう。「だからあんたらは、苦労(経験)が足りないって言われるんだよ」。

 久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗澤大学で講演し、先の大戦に関し、米国の広島、長崎への原子爆弾投下が日本の無条件降伏につながり、ソ連の北海道侵略・占領を防いだと指摘。その上で「(原爆で)本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べた。

 久間氏は長崎県出身。原爆投下を容認した発言と受け取れ、被爆地や野党などから批判の声が上がっている。

 久間氏は1945年8月の終戦直前の状況について「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原子爆弾を広島と長崎に落とした。そこまでやったら日本も降参し、ソ連の参戦を止めることができるということだった」と説明。さらに、「(終戦により)北海道は占領されずに済んだが、間違うと北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は、取られても何もする方法もない」と述べた上で、原爆投下は「しょうがない」と発言した。 

(6月30日 時事通信)

防衛相「原爆是認と取られ残念」 野党一斉に反発

 久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗澤大学で講演し、昭和20年8月9日の米国による長崎への原爆投下が、終戦を早め、旧ソ連による北海道侵攻を防いだとの認識を示した上で「原爆を落とされて本当に悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったのだと、そういう頭の整理で今、しようがないなと思っている」と語った。

 久間氏は長崎県出身だが、「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて広島と長崎に原爆を落とした。長崎に落とすことで日本が降参し、ソ連の参戦を止めることができると思ってやった」と指摘。その結果として戦後、日本が自由主義陣営に加わり、日米安全保障条約を結んだことを「わが国にとって良かった」と述べた。

 久間氏の発言に対し、野党側は鳩山由紀夫民主党幹事長が「日本国民としてとても許せない。大臣をやっている資格はまったくない」と語るなど一斉に反発し、罷免要求を含めて政府を攻撃する材料とする構えだ。

 安倍晋三首相は香川県丸亀市での会見で「米国のそのときの考え方を紹介すると同時に、原爆の惨禍の中にあった長崎について、『自分としては忸怩(じくじ)たるものがある』という考え方も披瀝(ひれき)されたと聞いている」と語り、問題はないとの認識を示した。

 久間氏は発言に批判が出ていることについて「原爆を落とすのを是認したように受け取られたのは残念だ」と記者団に語った。

■防衛相の発言要旨

 日本が戦後、ドイツのように東西で仕切られなくて済んだのはソ連が(日本に)侵略しなかった点がある。米国はソ連に参戦してほしくなかった。日本に勝つのは分かっているのに日本はしぶとい。しぶといとソ連が出てくる可能性がある。

 日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とした。長崎に落とすことで日本も降参するだろうと。そうすればソ連の参戦を止めることができると(原爆投下を)やった。

 長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。米国を恨むつもりはない。

 勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るのかなということも頭に入れながら考えなければいけない。

(6月30日 産経新聞)

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