勝敗

 消去法の結果、至極無難というか「やむをえない」結果となった長崎市長選。ある意味、7%の無効票こそが一番民意を反映しているかもしれなかったり。

 それにしても、伊藤一長のお嬢さん、気持ちは分からんでもないが「これでは父は浮かばれません」は無いだろ。選挙民はまず自分の生活が大事。故人の菩提を弔うために投票やってんじゃないんだから。世襲の是非はともかく、こんな執着心丸出しなコメントしていると、地元民に心底見透かされるぞ。

長崎市長選 情より手腕を選択 世襲に逆風、揺れた3日間

 4選濃厚とみられた伊藤一長(いっちょう)市長(61)が選挙期間中に射殺される異例の事態となった長崎市長選。補充立候補者2人を加えてからわずか3日間の短期決戦は、「市政熟知」の元市課長候補が、伊藤市政の「娘婿」候補を破り初当選を果たした。ただ、有権者からは「やはりイッチョウさんに入れたかった」との声も多く漏れ、割り切れない思いも残った。

 市長選を制した元市統計課長の田上富久さん(50)が補充立候補の届け出をしたのは19日。届け出締め切りまで1時間を切った午後4時20分ごろだった。

 当選確実の知らせが伝えられると田上さんは「自分たちの街を自分たちのリーダーといっしょにつくるという選択を市民がしてくれた」と、やや固い表情を少しだけほころばせた。

 市の課長から一気に市政トップに就くことになったが、事件後を配慮し万歳は控えられ、「市民の一人として痛ましく、つらい思いをした」と顔を曇らせた。「市政トップと市民の両方の感覚を持ち続け、市民と市役所ができるだけ近い関係になるよう努めたい」と抱負を述べたが、「世襲」の是非を問われると、「市民の意思」と慎重に言葉を選んだ。

 伊藤市長との違いについては、「まちづくりにかける情熱はしっかりと受け継ぎたい。手法は、みなさんと見つけるアイデアを大切にし、市民活動と連携したまちづくりを模索したい」などと語った。

 田上さんは選挙戦で、射殺された伊藤一長市長(61)の娘婿が後継として出馬したことに「市長は世襲制ではない。肉親の情は分かるが、自治の担い手は別問題。リーダーは市民が選ぶべきだ」と批判。世襲に危機感を感じたのが出馬の動機の一つとも語っていた。九州大を卒業し昭和55年、長崎市役所入り。広報や観光分野を長く担当した。昨年長崎市で開催された観光イベント「長崎さるく博」も企画立案。「誠実で勉強家。他人の意見を柔軟に聞けるタイプ」と市幹部は評する。

 突然の出馬にも妻、和代さん(50)は「やりたいことは、やったほうがいい」と全面的に後押しした。3日間の選挙戦では「変えるべきところは変える」と市民参加型の市政運営を掲げ、経済界を中心に勝手連的な支援の輪が広がった。

 日中雨が降り続いた22日の長崎市。有権者の間からは判断時間の短さなどを嘆く声やとまどいの声も相次いだ。あえて白票や無効票を投じた人も。会社員の男性(37)は「誰に投票したらいいのか分からない。まだ判断できない」と候補者の名前を書かずに投票した人もいた。

(4月23日 産経新聞)

長崎市長選 横尾氏敗れる 娘憔悴「これでは、父は…」

 「私の力の至らなさで、こういう結果になってしまった。本当に申し訳ない」。義父、伊藤市長の遺志を継ぐことができなかった西日本新聞記者の横尾誠さん(40)は敗戦が伝えられると、支持者らにそういって頭を下げた。盤石の支持基盤に加え「弔い合戦」の構図が有利に働くとみられたが、「世襲批判」の声を前に、思うように票が伸びなかった。

 横尾さんは同志社大を卒業後、西日本新聞社(福岡市)に入社。東京支社で首相官邸の担当記者をしていた。義父の伊藤市長の銃撃事件で急遽(きゅうきょ)東京から駆け付け、最期をみとった。「目の前で冷たくなる父(伊藤市長)を見て、自分が出るしかないと思ったが、期待に沿えず残念です」

 選挙事務所には1メートル四方の伊藤市長の遺影。妻の優子さん(36)は憔悴(しょうすい)しきった様子で「これでは父は浮かばれません」と声を振り絞ると、崩れ落ちそうになるのを関係者に支えられ、泣きながら事務所を後にした。

 有権者からは、「伊藤市長の無念さは計り知れない。横尾さんには遺志を継ぐ資格がある」(50代男性)などの声があがっていた。しかし、世襲批判は予想以上に強く、「イッチョウさんなら入れたのだが…」という有権者の声が重く響いた。

(4月23日 産経新聞)

 ここも消去法の結果、「趣味・選挙」の手配師落選、労組の手先が当選。究極の選択というか何と言うか。今回の候補者の顔ぶれでは、羽柴秀吉が一番マシだったということが夕張市の不幸だが、その彼すら選びきれなかったという点で、もうどうにもこうにも…。

「依存から自立へ」夕張市長当選の藤倉さん、一夜明け抱負

 「新しい夕張を作るためのトンネルの中にいる。市民が汗を流して一歩一歩進み、抜け出さないと」。財政再建団体になったばかりの北海道夕張市長選で、新人7人の乱戦を制した元タイヤ販売会社社長の藤倉肇さん(66)は23日朝、こう決意を語った。

 大企業誘致による雇用創出を掲げた次点候補に342票差まで迫られたが、「自分への批判だとは思っていない。汗を流して改善する方を多くの人が選んでくれた」と言い切った。

 引退する後藤健二市長とは高校の同級生。だが、「夕張をよくしたいとの思いは一緒でも、路線は違う」と改革意欲を強調し、「依存型から自立型にするため、意識改革が大事。夕張の人は心が一つだから分かってくれる。市長自らやってみせなきゃ」と力を込めた。

(4月23日 読売新聞)

 さて、この騒動で一番馬鹿をみたのは誰でしょう?

新幹線「栗東駅」中止へ…滋賀県議選敗北で自民会派が転換

 滋賀県栗東(りっとう)市の新幹線新駅建設問題で、同県議会最大の会派「自民党・湖翔(こしょう)クラブ」は、これまでの「推進」の立場から「凍結」に転換する方針を固めた。

 自民党県連もこの方向で調整する。

 8日投開票された県議選で惨敗、「凍結」を掲げ、県民の人気が高い嘉田由紀子知事と対立したままでは、「抵抗勢力」としてイメージが悪く、夏の参院選を戦えないと判断した。

 推進派の最大勢力の方針転換で、新駅建設は行われないことが確定的になった。

 県議選(定数47)で、自民党は嘉田人気に配慮、推進の立場を明確にせずに戦った。ところが、嘉田知事を支援し、自民党を「抵抗勢力」と位置づけた政治団体「対話でつなごう滋賀の会」が公認、推薦した計19人のうち、12人が当選する躍進。自民党は24人の候補のうち当選は16人。改選前、27人の同クラブは無所属議員を取り込んでも過半数を割るのは確実になった。

(4月23日 読売新聞)

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