元弁護士の「平成の鬼平」中坊公平氏が死去 ~ 良い意味で「目的のために手段を選ばない」御仁だった。

 享年83歳。功罪相半ばする人物と言われていたが、個人的には「敢えて罪を背負って功をなす剛直さ」を持った人だったと思う。その意味で、彼は間違いなく「平成の鬼平」だった。時たま、彼と彼に告発された安田好弘とを並べて「弁護士の鑑」と賞賛する馬鹿がいるが、安田なんぞと一緒にするのは中坊氏に対して非常に失礼だと思う。

 確かに、記事の件だけでなく、司法制度改革でも判断ミスはあった。100%の尊敬の念だけで評価すべき人物ではないだろう。だが今日だけは心よりの敬意を込めて、合掌。

中坊公平氏が死去…整理回収機構社長など務める

 日本弁護士連合会(日弁連)会長や整理回収機構(RCC)社長などを務めた元弁護士の中坊公平(なかぼうこうへい)氏(京都市東山区)が3日午前8時5分、心不全のため入院先の病院で亡くなった。

 83歳だった。葬儀は5日、近親者で済ませた。喪主は妻、淳子(じゅんこ)さん。

 京都大法学部卒業後、1957年に弁護士登録。70年代は、粉ミルクを飲んだ乳幼児が死亡するなどした「森永ヒ素ミルク中毒事件」の弁護団長として、被害者救済に取り組んだ。

 84年に大阪弁護士会会長に就任し、85年以降、豊田商事の巨額詐欺事件の破産管財人として被害者を支援。90年から2年間、日弁連会長を務めた後、産業廃棄物の不法投棄に苦しむ香川県・豊島(てしま)で、弁護団長として原状回復を求める島民を支えた。

 96年、旧住宅金融専門会社(住専)の不良債権を回収する住宅金融債権管理機構初代社長に就任。「国民に二次負担をかけない」をスローガンに陣頭指揮を執った。しかし、2000年に行き過ぎた債権回収が発覚し、東京地検特捜部の捜査を受けた。その後不起訴となったが、社会的責任を取る形で05年に弁護士を廃業。最近は、公の場に姿を見せることはほとんどなかった。

(5月5日 読売新聞)

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